ドイツに学んだ国有林野行政
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作成日時 : 2012/02/05 16:20
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国有林は今、岐路にきているが、国有林の発足にはいくつかの理由があった。森林の維持管理という形で、山村に住む人々に労働の場所を提供する目的もあったろうし、公共の財産として国が効果的に管理するという意味もあったでしょうし、国有林が多く奥山にあり一般の人が手入れをすることもできない森林を、国が一括して面倒をみようということもあったと思う。しかし、もっとも大きな目的は、財源の確保ではないか。当時は新政府が発足したばかりで、しかも富国強兵(ふこくきょうへい)の時代ですから、国は、あらゆるところに財源を求めていた。山は、木材の立ち並ぶ、文字通りの「財源の山」だったわけである。
こうして生まれた国有林は、維持管理の方法をドイツ林学に学んだ。明治維新の後、森林学を志す学生や政府の役人が繰り返しドイツを訪れたことで、日本の森林施業は大きく方向転換をした。彼らが見たのは,皆伐(かいばつ)と人工栽培によって生み出された、トウヒの見事な一斉林(いっせいりん)であった。それこそが、ドイツ林学のすばらしさを示す、何よりの証拠だと映ったことだろう。典型的なのは「法正林」です。毎年等しい量の木材を、将来にわたって永続的に収穫できる模式的(もしきてき)な森林だ。単純な言い方をすれば、植えた直後の若木から伐採直前の成木に至るまで、各年齢の森林がそれぞれ等面積ずつあって、毎年一区画ずつ伐採していけばいいということです。そのためには、全ての木が毎年適正な成長をして、全体として常に適正な蓄積がある状態が必要になります。結果的言えば、こうしたドイツの法正林思想は、理論がすべて先だった非現実的なものだとして、後に厳しい批判を受けることになった。しかし、初めてそうした整然とした理論体系に触れた日本人にとっては、ドイツ林学は、ただ圧倒的にすばらしいものに見えた。帰国後彼らは、おしなべて林業や林政に熱意を示し、国有林はドイツの理論のもとに整備されていった。
国有林はなぜこれほどの赤字をかかえることになったのか。国が山林を手に入れたとき、それは、手をかけなくても樹木が立ち並ぶ「財源の山」だった。そこにある木を伐ることが、そのまま収入になった。木材の価値が伐採費と見合えば利益が生まれたわけです。しかし、その木を植え、育てた費用を(人件費も含め)考えれば、まったく違った計算になったはずです。すでに育っている木を伐って売るのは、いわば在庫処分のようなものです。実態のない利益を、本当の利益のように錯覚(さっかく)したのが、そもそもの誤りだったのでは。しかも、国有林の収支だけを独立させた特別会計にして、黒字分は一般会計に繰り入れるという措置までした。そこで生まれた黒字分は、本当は、すでに木を育てる費用として支出済みだと考えるべきでした。
ドイツ本国のドイツ林学は、日本とは違った発展のしかたをしてきた。皆伐と、それによる同齢一斉林が森林の勢力を衰えさせ、風害で大量の木が倒れるなどの災害が頻発(ひんぱつ)したからである。計算ではうまくゆくはずのことが、自然が計算通りにの姿にならなかったという事実は、法正林思想への懐疑(かいぎ)につながった。「理想の森林は、あらかじめ与えられた処方箋(しょほうせん)によって決定されるべきものではなく、自然の力を十分に活用し、自然界の推移に人間が手を貸すことで生まれるものだ」という、いわば「自然に帰れ」という声が生まれていった。日本の国有林が「自然に帰れ」という言葉を実感するのは、はるかに時代が下った、高度成長の増伐で森林の荒廃が進んだ昭和40年以降のことである。≪参考:山形大学名誉教授・北村昌美 国有林の歩みと日本の森林、日本人の森林観≫
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